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イナバウアー
最近はブラジリアン柔術の技の名前に、大変興味を持ってしまっている。
技の名前が、非常にシンプルで好ましい。
例えば「キムラ」である。あるいはキムラロックとも言う。
間違いなくキムラさんが関わっている。
少しメジャなネーミングだと「サクラバ」である。
有名な格闘家、桜庭選手から取った技の名前なのだ。
勅使河原さんが開発した技の場合どうだろう、「テシグァ~ラ」とでもなるのだろうか。
また、セコンドなどは選手に大声で技の名前を叫ぶ場合がある。
葉加瀬太郎が何らかの技を開発し、それを取り入れた場合、「ハカセ!ハカセ!」と叫ぶのである。選手はその声を聞き「おお、ハカセを出そう」と考えるのかも知れない。
伊集院の場合、「イジューインッ」であり、多少気品も伺える。
志村ケンは「シムラ!シムラ!」である。
ウシロなどは必要が無いし、百太郎もいないのである。
海外では、技などは人の名前が付く事が多いのだそうだ。

つまり今回は、ネーミングについて考えている。

私のデスクの中には、おでこに張る冷却シート、冷えピタが常備されている。
熱を出しやすい子供と同じように、私もそういう事情があるためだ。
このネーミングはどうだろう。「ピタ」とは何がピタなのだろう。
おでこにはる時にピタと貼れた事など未だに一度も無い。
言うなれば「ヌルン」と言う感覚が強い。
「おでこヌルン」かなり長けているネーミングでは無いだろうか。

「あら、お熱なの?おでこヌルン張りなさい」

素敵な家庭、温かい母、素晴らしいじゃないかと思える。

興味があると言えば車のネーミングも多少は引き合いに出したい。
TOYOTAが発売している車種、HONDAであっても三菱であっても、何らかの名前がある。
オデッセイやシーマ、パジェロなどである。これらは発売元が一生懸命考えているので、格好いいと思わなくてはならない。
しかし、ベンツはどうだろう。
国内において、ベンツは「ベンツ」が一般的であるし、BMWに関しては「BM」などと略してしまう場合がある。
名前ではなくメーカを指しているわけだ。

発売元を称する事は、多少違和感があるのだが、本などに置き換えて考えてみると、近所の本屋にいって「講談社下さい」などと言ってみても、「はあ・・・」と言う感じでは無いだろうか。
あるいは、コンビニに行き「ロッテ下さい」とはまず言わない。

ネーミングとは、一般的に皆が共有しているものが、一番よい。
これらの事情から、私が今一番伝えたい事は、「ピッツァ」とメニューに書くのを、一瞬は躊躇った店長の顔を想像出来る、と言う事だと思って頂きたい。
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# by koublog | 2006-03-08 10:36 | 一人語散る
受け入れる
少し前に、大量のイチゴを貰ったので、友人と食べていると、「こんなに可愛いのに、食べちゃうのって、私たちは罪深いよなあ」と言っていた。
私はイチゴが可愛いと思ったことは無いし、食すことが罪深いと思えない部類の人間だ。
しかしながら、生きるとは、一般的に入れる出す、と言う行為を無限とも思える数を繰り返す事である。
特に出す、と言う行動は人間の本質に似ていて、不必要なものが出ていった瞬間に、新たに何か取り入れられる気がしてくるのである。

禁煙できない人間の多くは、ニコチンに依存していると言うのも大きいのだが、実は煙を吐き出す、と言う行為をやめる事が出来ない事に気づけていない。
体内から排出される煙は実に気持ちが良い。
まるで、何か悪いものが出ていったのでは無いか、と思えてくる程である。
タバコが吸いたいと体が思うメカニズムは、それほど短時間で起きているわけは無いのに、チェーンスモーキングを繰り返してしまう現象は、こういった事情から起きていると推測される。

つまり、私が言いたい事は、書き出す行為と言うのは、煙を吐き出すのに似ていて、それをやめてしまうと、何かを出さなければならない。
出すと今度は取り入れなければならないし、出さなければ体内で違った物質が生み出されてしまうかも知れない。
全て不確かな事情を受け入れる、そういった事に似ている。

以前ほどの更新頻度は無いものの、時間が空いた時には書き記そうとこのページを開く。
これもコメントをくれる方々や、定期的に訪れてくれる人がいる事が非常に大きい。
こういったコミュニケーションと言うのは、非常に私にとっては大切なもので、お互いの存在理由に繋がる。
無論、そういった理由などが無くても、存在している事に何ら変わりが無いのだが。
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# by koublog | 2006-03-02 16:49 | 一人語散る