少し前に、大量のイチゴを貰ったので、友人と食べていると、「こんなに可愛いのに、食べちゃうのって、私たちは罪深いよなあ」と言っていた。
私はイチゴが可愛いと思ったことは無いし、食すことが罪深いと思えない部類の人間だ。 しかしながら、生きるとは、一般的に入れる出す、と言う行為を無限とも思える数を繰り返す事である。 特に出す、と言う行動は人間の本質に似ていて、不必要なものが出ていった瞬間に、新たに何か取り入れられる気がしてくるのである。 禁煙できない人間の多くは、ニコチンに依存していると言うのも大きいのだが、実は煙を吐き出す、と言う行為をやめる事が出来ない事に気づけていない。 体内から排出される煙は実に気持ちが良い。 まるで、何か悪いものが出ていったのでは無いか、と思えてくる程である。 タバコが吸いたいと体が思うメカニズムは、それほど短時間で起きているわけは無いのに、チェーンスモーキングを繰り返してしまう現象は、こういった事情から起きていると推測される。 つまり、私が言いたい事は、書き出す行為と言うのは、煙を吐き出すのに似ていて、それをやめてしまうと、何かを出さなければならない。 出すと今度は取り入れなければならないし、出さなければ体内で違った物質が生み出されてしまうかも知れない。 全て不確かな事情を受け入れる、そういった事に似ている。 以前ほどの更新頻度は無いものの、時間が空いた時には書き記そうとこのページを開く。 これもコメントをくれる方々や、定期的に訪れてくれる人がいる事が非常に大きい。 こういったコミュニケーションと言うのは、非常に私にとっては大切なもので、お互いの存在理由に繋がる。 無論、そういった理由などが無くても、存在している事に何ら変わりが無いのだが。
by koublog
| 2006-03-02 16:49
| 一人語散る
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